再び心筋梗塞の闘病記 2019.03.24

  入院した山陽小野田市にある山口労災病院  写真は山口労災病院のホームページから拝借

 物語の始まりは、3/6の水曜日だ。 その日の天気予報は昼前から雨の予報。
 この前、畑を耕したところに、水が溜まっているのを発見し、ずっと気になっていた。 ここはひとつ雨が降り出す前に、溝を掘った方が良いなー、と考え渋々作業することを決意した。
 この日はやけに“疲れるなー”と思いながらも、雨が降り始める前に作業を終えたくて、パワー全開で頑張った。そのかいあって降り出す直前には終えることができ一安心。 と、ここまでは良かったが...
 家に戻って、一休みしている間に、何だか両側の肩甲骨周りが痛く感じて、特に左側の方が強く、まるで幽霊か悪魔かからズ〜ンと押されるような、気持ち悪いイヤ〜な痛み方だった。 ソファーにもたれかかったまま、眠りについてしまうような疲労感もある。 けれどこの日はまだ、久しぶりにした力仕事による筋肉痛だろうと思っていた。

 翌日木曜日になると、若干の痛みはあるものの昨日よりは、はるかに楽。昼頃にはほとんど痛まなくなってきた。 午後になって、いつもの通りウォーキングをしようと出かけ、歩き始めてすぐ左肩甲骨が痛みはじめ、歩くスピードを遅くしても改善しないので、「これはまずいんじゃない?」と思い、いつもなら速足1時間歩くコースを遅足15分で切り上げた。 家に帰っても痛みは引かず、ソファに座ったまま眠り込んだ。
 なんだかこの痛み、昔経験したような思い出がある。 およそ10年前(正確には13年前)、心筋梗塞をやった時に感じた痛みに似ている。これは怪しい。明日は病院へ行ってみよう。(*_*;

 金曜日は朝から、主治医(10年前治療をしてくれた先生)の診察を受けた。
 症状を話すと、先生も同じ疑いを持ったようで「清水さんこれは検査してみんといけんです。CTかカテーテル検査しましょう」、「いやいや先生、カテーテルはちょっと覚悟が要りますんで、とりあえずはCTにしてください」。
 この後、先生はどこかと電話連絡。「清水さん、明日西岐波のセントヒル病院に予約しましたので、8時に行ってください」。話はトントン拍子の思わぬスピードで進んでいった。

 土曜日は満を持して、決められた時間前に病院の受付を済ませた。 家を出てから病院に着くまでは、背部痛に悩まされたが、病院へ着くころには治まっていた。
 病衣に着替え、造影剤を点滴されながら車いすで、CT検査室へ連れていかれた。 この日は、痛さや恐怖のある検査ではなく、機械に身をませていれば終わってしまう。 約2時間の行程を済ませ、昼前には家に戻れた。
 結果が出るまで3〜4日かかるそうで、結果は紹介元の病院で聞くことになった。


 日曜日になっても、背部痛は相変わらずぶり返す。
 日に2〜3回痛みが襲ってきて、いずれも1時間くらい我慢すると治まってくる。 痛みの都度疲労感があるし、何よりも痛さを忘れたくて寝入ってしまう。 こんなに細切れに寝られること自体が、もはや病人だよね。((+_+))(笑)

 月曜日も朝から痛い。
 CTの結果が聞けるのはまだ2〜3日先だし、このまま痛さを我慢するだけしかないのかなー?と考えながら、2つの疑問が出てきた。

 その(1)・・・CTの結果が悪かったら、それからカテーテル手術になるけど、他の病院の予定に組込んで貰うわけで、治療 は随分先になるんじゃろうな?
 その(2)・・・背部痛がある時、ただ痛みが引くまで我慢して、我慢できなくなったら救急車を呼ぶ。 それしか方法はないわけ? それって正しい方法なの?  と、2つの疑問を質すために午後から主治医のもとを訪れた。
 病院に着くと受付嬢が「お変わりないですか?」とのんきに聞くので、ついイラっと来て「悪いです」と不機嫌に言ってしまった。(笑) それがそのまま先生に伝わったのか、顔を合わせるなり、どこかと電話連絡をし始めた。
 「清水さん、このまま労災病院へ行ってください」僕としては「はぁー?今からですか?入院の支度もあるし…」。 「支度はどうにでもなります。すぐ行ってください」 面喰いながらも、乗ってきた自分の車を運転し、とりあえず労災病院へ向かった。
  
  

これからが本番。。。(笑)

 労災病院には16:00頃着いて受付に行くと、奥から看護師が2名駆け寄ってきて、車いすに載せられ救急処置室に直行。 先生の問診を受けた後、血液検査・心電図・心エコー・レントゲンなど立て続けに検査に回された。 もし重症の場合は、血液検査のある値が異常なほど高くなるのだが、僕はそれ程でもなかったため、今すぐでなくても、明日のカテーテル手術で良かろうという事になった。(16:00からだぞ、覚悟はいいか?笑)

 それからは車いすで4階に運ばれ、ナースステーションから一番近くの観察室みたいな病室に入れられ、点滴につながれたり、心電図の機械を付けられたりで、自由を奪われてしまった。(笑)

 翌日は朝から病室を移され、今度は4人部屋。手術予定の16:00まではやたら待ち長く、暇で暇でTVを見るか、スマホで音楽聞くかゲームするかで時間潰すしかなかった。手術中気分が悪くなる人もいるようで、手術前の食事は半分の量しか食べさせてもらえない。(それでなくても量の少ない病院食から、さらに半分とは…涙)
 ほかの手術が繰り上がり、予定が早まった。 3時半くらいから始まり4時過ぎには終わった。 今日は右手首の動脈からカテーテルを挿入。 針は一発で動脈に刺さり、すこぶるスピーディーに作業は進んだ。
 カテーテルから造影剤を流すと、2本の冠動脈が狭窄しているのが判明。 1本は10年前にステント(金網)を入れているところが再狭窄している模様。 ここは風船を膨らませて処置を終えた。今日はここまで。 もう1本ついでにやれば良さそうなものだが、さすがに血管の中、時間が経てばたつほど凝固などのリスクが高まるため、やむなく終了となった。 次の試合(手術)は明後日木曜日10:00からと決まった。

 木曜日の朝が来た。 例によって朝食は半分しかもらえずに、手術前には腹が鳴る。(笑) 今日は左手首の動脈から挿入の予定で、前回の先生は指導的立場で、施術は違う先生だ。 痛み止めの注射を打ってから、動脈を探し始めた。が、なかなか見つからない。何度か差し替えて探すので、痛くなって顔をしかめると「痛いですか?」と聞かれ、注射をもう一本追加され、まだまだ見つからず3本目を打たれた。何度も何度も差し替えられて、後で数えたら13個くらい針跡があった。(涙) しかしついに血管は見つけられずに、そのまま位置をずらして腕の動脈から挿入することに変更。 今度は一発で入った。(ホッ) 入ってしまえば作業は順調、30分くらいで手術は終わった。 今回の冠動脈は新しい狭窄なので、ステントを1本挿入した。
 車いすに乗せられ、病室へ戻ってきたのが昼前頃。昼食に間に合った。(笑) ちゃんと一人前の量に戻されている食事をアッと言う間に平らげた。その後はベッドで安静にするが、やけに左腕が痛い。腕の動脈から刺したので、術後血が噴出さないように空気圧で押さえながら、ベルトで固定してある。 看護師が時間を見ながら、4回位に分けて少しずつ減圧しながら、ベルトを外したのが6時間後。 明日は10時に退院が決まっている。窮屈な生活も今日が最後かと思うと、今晩何とか辛抱できそうだ。(^_^)v

 今回の入院で一番ショックだったこと。 それは入院時の血液検査で血糖値がすごく上がっていたこと。 先生からは専門医を紹介しようか?とか、このまま2週間入院したらどうか?など、言われてしまった。 僕の場合、自分の体の不具合は、何とか自分で工夫して戦ってみようと思うタイプなので、「一度主治医と相談して決めます」と逃げた。
 という事で、退院前30分ほど管理栄養士から栄養指導を(母ちゃんと二人で)受けるように言われ、10時退院なので9時過ぎには母ちゃんに迎えに来てもらった。 栄養指導も終わり着替えようとすると、ズボンがない。慌て者の母ちゃんが忘れてきた。(笑)近くの洋服屋にズボンを買いに行き、病院を出られたのは11時半を過ぎてしまった。

 入院中は、食事の都度塩分は少なくて美味しくないし、量が圧倒的に少なくて四六時中飢餓状態だった。それも4泊5日も付き合ってくると、結構慣れてくるもので、せっかくついた良い習慣なので、もうしばらくは続けてみたほうがいいかなと思う。
 退院して10日経つが、入院時より3kg減った体重は今も維持できているし、なによりもアルコールを抜く日が増えたことには驚き。(笑) これからまた10年経っても再入院なんかにならないよう、頑張っていきたいと決心するものであります。。。(笑)

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